父の日なので…

父の日なのでこの機会に個人的なことで恐縮ですが…私の父の話をさせていただきます。

私馬上敦子の父(吉岡嶺ニ)は海や船が好きで若い頃の夢は捕鯨船の砲手になりたかったそう。

大型船に乗船するための資格を取得するために商船大学への進学を目指しましたが、当時は矯正視力が認められず受験資格の中にある一定以上の視力が満たされず諦めたそうです。

船舶職員法は昭和45年に改正さ れ,「裸眼視力が両眼共にO.1以上かつ 矯正視力が0.6以上」と定めらたようです。

安全面を考えると致し方ないことではありますが、当時は私の父と同じように視力で夢を諦めざるを得ない方が多くいたのかもしれません。

父は大学卒業後、ごく普通のサラリーマンとなり結婚し、兄姉私と犬1匹で父が小学生の頃から住んでいた鎌倉市の端っこ「腰越」と言う町に暮らしていました。

腰越は小さな漁村で夏は海水浴客で賑わいます。

シラスが有名で、私の同級生にも漁師になったお友達がいます。

父は社会人になってから高校の同級生とヨットを買い、家から歩いて行ける江の島ヨットハーバーに置いていました。

私が幼い頃には週末に何家族かが集まり順番にヨットに乗ったものです。

途中船酔いすると「海に飛び込め!」と浮き輪をつけて船から海に飛び込みました。深い海で鮫が来たらどうしようと怯えつつも楽しかった思い出です。

父は39歳の時(1979年)、もっとひとりで気軽に楽しめるようにとカヌーを始めました。

まだまだその頃は一般的に土曜日も仕事。休みを取りずらい世の中でしたが、

そんな中、ひとりカヌーで腰越海岸から漕ぎ出しました。

週末を利用して、カヌーで行けるところまで行き一度電車で帰ってきて、次の週末またその場所まで電車で行き、行けるところまで行く。

時代は変わり週休2日になってからは、金曜日の夜、カヌーとテントを担ぎ夜行列車で前の航海の到着地点の港まで行き、近くの安全な場所を見つけてキャンプし、朝早くカヌーで出港、入れる港を見つけてそこでテントを張り朝になると出港…そんな旅を重ね、たどり着いた最初の目標は京都。

ここを一区切りに本を出版しました。

次は鎌倉から青森、その次は…

と最終的に23年かけて日本一周(本州、九州、四国、北海道、沖縄本島の五大島9,600㎞周航)を果たしました。その時の航海記を8冊の本にまとめています。

時には、漁師さんの家でご飯を食べさせてもらったり、泊めてもらったり、急な悪天候で助けてもらったり…

安全な航路や入港できる港を教えていただいたり、車で送迎してもらったり。

家族へのお土産にと伊勢エビをもらって帰ってきたこともありました。

北海道では鮭の定置網に引っかかり転覆したり、カヌーが趣味の海上保安官が事故がないようにと見張っててくださったり…

どれだけ漁師さんや漁業関係者にお世話になったりご迷惑をおかけしたことかとてもとても書ききれません。

日本1周を終えると世界の大河をチャレンジする!と夢は大きく兄の住んでいるカナダをはじめヨーロッパ遠征までして国際的なご迷惑をおかけしたことかと思いますが、色々なところに取り上げていただき比較的新しいものはこうして記事にも残していただきました。

英国ニュースダイジェスト

私の子供たちが小さいころ、夫は朝も早く夜も遅くまで仕事なので、私が出張に行く時は両親が保育園の送迎や食事など子供たちの面倒を見てくれていました。

父は「次はどこに行くんだ?あーそこはお父さんも行ったぞ!」とその場所での思い出を話していました。

日本の沿岸漁業海域を一周した激レアな父ならではの数々のエピソード…聞けば聞くほど漁師さんへの感謝が込み上げてくる私で、恩返ししてくるから子供たちお願い!とおかしな循環が成立。

会社の会議の日、朝起きて子供が発熱していた時、5時に実家に電話して「今すぐ来て!」と呼びだし、真っ赤な顔の子供を親に預けて出勤したことが何度もありました。

何時であろうと「わかった、すぐ行く!」と電車で1時間かけて駆けつけてくれました。

この仕事を幼い子供がいる私が続けていくには両親のサポートがなければ間違いなく無理で、今のように仕事している自分はいなかったでしょう。

私の中のどこかに父が日本一周を果たすためにお世話になった漁師さんへの想いがあったから続けられたのかもしれません。

父があの時お世話になった漁師さん

父が安全にカヌーでの日本一周ができたのは全国の漁師さんたちのお陰です。ありがとうございました。

父はまだ元気です。毎日海を見てのんびり暮らしています。

この場を借りてお詫びと感謝をお伝えしたく父の日を理由にお喋りnoteに書かせていただきました。

父の書いた本は最初は出版社からでしたが最後は自費出版となりました。

その本にあった漁師さんとの思い出の写真を紹介させていただきます。(見にくくてすみません)

たまたま縁あって私が漁師さんと仕事をするようになったことを一番喜んでいたのはきっと父だったと思います。家族の協力もあり、私もだいぶたくさんの港を訪問させていただきたくさんの漁師さんとお話をしてきましたが、手漕ぎのカヌーで日本一周した父にはまだまだ適いません。

昨年「漁師の日」の登録申請書に書く、”漁師の日制定の目的”を父に相談したところ、

「漁師さんは大変な仕事だから、その日は家族と共にゆっくり過ごす日になればいいな」と言いました。≪漁師の日

そうなんです。実は漁師の日制定の目的には父の想いが込められています。

1ヶ月後の7月17日(月)7月第3週月曜日は「漁師の日」

この日は東京で漁業就業支援フェアを開催します。

漁師さんにとってよい1日になるよう私にできることをコツコツと準備しています。

漁師さんと父への感謝の気持ちを込めて…

漁業人材デザイナー馬上敦子

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